1961年マン島TT – HONDA完全優勝、夢が叶った年。

本日8月5日は本田宗一郎氏の命日<1991年8月5日(満84歳没)>(先日知ったのであって私は物知りではありません)こちらは本田宗一郎氏「マン島TTレース出場宣言」から7年目にして成し遂げた、1961年当時の貴重なリポート映像です。
1961年6月12日に開催された125㏄クラスにおいては、1位マイク・ヘイルウッド、2位ルイジ・タベリ、3位トム・フィリス、4位ジム・レッドマン、そして5位にHSCの島崎貞夫とホンダ勢(マシンはホンダ 2RC143)が独占。
続いて行われた250㏄クラスにおいても1位マイク・ヘイルウッド、2位トム・フィリス、3位ジム・レッドマン、4位高橋国光、5位に谷口尚巳(マシン、ホンダ RC162)こちらも独占勝利し、世界中にホンダの名が知れ渡る事になったのである。
まだホンダの名前を知る人がいなかったマン島TT初参戦、1958年から3年目にして成し遂げた快挙だったのです。

<1961年、Hondaはマン島TTレース参戦3年目にして、125cc、250ccとも1位から5位までを独占。完全優勝を果たした。また、この年の世界GPレースでも、両クラスのメーカーチャンピオンを獲得した。>

Honda The Golden Years

In the 1960s Honda became THE manufacturer to reckon with at the TT. Jim Redman was a big part of the effort to put the ‘Big H’ at the top of the pile. Jim will be joining us at Classic TT presented by Bennetts this year, and you could have the chance to share a table with him at the RST Heroes Dinner

Isle of Man TTさんの投稿 2017年8月3日

そしてこちらが有名な「マン島レース出場宣言」全文です。

「マン島レース出場宣言」

吾が本田技研創立以来ここに五年有余、劃期的飛躍を遂げ得た事は、全従業員努力の結晶として誠に同慶にたえない。
私の幼き頃よりの夢は、自分で製作した自動車で全世界の自動車競争の覇者となることであつた。
然し、全世界の覇者となる前には、まず企業の安定、精密なる設備、優秀なる設計を要する事は勿論で、此の点を主眼として専ら(もっぱら)優秀な實用車(じつようしゃ)を国内の需要者に提供することに努めて来たため、オートバイレースには全然力を注ぐ暇もなく今日に及んでいる。
然し今回サンパウロ市に於ける国際オートレースの帰朝報告により、欧米諸国の実状をつぶさに知る事ができた。私はかなり現実に拘泥(こうでい-こだわること)せずに世界を見つめていたつもりであるが、やはり日本の現状に心をとらわれすぎていた事に気がついた。今や世界はものすごいスピードで進歩しているのである。
然し逆に、私年来の着想をもつてすれば必ず勝てるという自信が昂然(こうぜん)と湧き起り、持前の斗志がこのままでは許さなくなつた。
絶対の自信を持てる生産態勢も完備した今、まさに好機到る!
明年こそはT・Tレースに出場せんとの決意をここに固めたのである。
此のレースには未だ會つて国産車を以て日本人が出場した事はないが、レースの覇者は勿論、車が無事故で完走できればそれだけで優秀車として全世界に喧傳される。従つて此の名声により、輸出量が決定すると云われる位で、独・英・伊・仏の各大メーカー共、その準備に全力を集中するのである。
私は此のレースに250ccのレーサーを製作し、吾が本田技研の代表として全世界の檜舞台へ出場させる。此の車なら時速180km以上は出せる自信がある。
優秀なる飛行機の発動機でも1立(立=リットル)当たり55馬力程度だが、此のレーサーは1立当たり100馬力であるから丁度その倍に当る。吾が社の獨創に基く此のエンジンが完成すれば、全世界最高峰の技術水準をゆくものと云つても決して過言ではない。

近代重工業の花形、オートバイは綜合企業であるからエンジンは勿論、タイヤ、チェーン、気化器等に至るまで、最高の技術を要するが、その裏付けとして綿密な注意力と眞摯な努力がなければならない。
全從業員諸君!
本田技研の全力を結集して栄冠を勝ちとろう、本田技研の將來は一にかかつて諸君の双肩にある。ほとばしる情熱を傾けて如何なる困苦にも耐え、緻密な作業研究に諸君自らの道を貫徹して欲しい。本田技研の飛躍は諸君の人間的成長であり、諸君の成長は吾が本田技研の将来を約束するものである。ビス一本しめるに拂う細心の注意力、紙一枚無駄にせぬ心がけこそ、諸君の道を開き、吾が本田技研の道を拓り開くものである。
幸いにして絶大なる協力を寄せられる各外註工場、代理店、関係銀行、更には愛乗車の方々と全力を此の一点に集中すべく極めて恵まれた環境にある。
同じ敗戦国でありながらドイツのあの隆々たる産業の復興の姿を見るにつけ、吾が本田技研は此の難事業を是非共完遂しなければならない。
日本の機械工業の眞價を問い、此れを全世界に誇示するまでにしなければならない。吾が本田技研の使命は日本産業の啓蒙にある。
ここに私の決意を披歴し、T・Tレースに出場、優勝するために、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君と共に誓う。
右宣言する。

昭和二十九年三月二十日

本田技研工業株式会社
社 長  本 田 宗 一 郎
(太字管理人)

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